補償金制度への違和感
7 月 29th, 2007 by 鳴神
最近、私的録音録画補償金制度の議論がふたたび活発になっています。
しかし以前から違和感を覚えているのが、補償金制度の必要性の根拠となっていることです。録音にせよ録画にせよ、「私的コピーの文化が根付いているから」というのが根拠のひとつになっていますが、そもそもコピーされるからといってそれが被害に直結するわけではありません。
デジタル情報というものは、いくらコピーされても(使っても)オリジナルが消えることはありません。ですので、物的なものの盗難の被害とはそもそも比較できないことです。
また、違法コピーされたとしてもそれが被害となるかどうかも曖昧です。なぜなら、違法コピーのものを手に入れた人物が、それがなかったら必ずしも正規のものを購入していたとは限らないからです。
ましてやテレビの地上波の場合、はじめから無料で放送しているのですから、それを私的にコピーされたり、違法コピーが蔓延したとしてもどれほどの被害があるのか計りかねます。けっきょく、著作物の被害額を算定することは難しいといえます。
それなのに、補償金制度はまさに被害が出ていることを前提に話が進められています。ユーザーのすべてが私的使用の範囲を逸脱した形で複製するとはかぎらないのに、「もし違法コピーされたら」というタラレバを全ユーザーに影響を及ぼす公的な制度の根拠にしているという、非常に珍しい状態にあります。
いわば、一番損をするのは著作権侵害行為はしない真っ当なユーザーということになります。こんな“正直者がばかを見る”制度が、はたして正当なものといえるのでしょうか。
まだ他にも同制度のおかしな部分はありますが、それはまた別の機会に。
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