ケータイ小説を思う
7 月 15th, 2007 by 鳴神
いま携帯電話向けの小説、通称「ケータイ小説」がすごい人気です。以前にも触れましたが、ケータイ・サービスとして好評を博しているだけでなく、本として出版した場合もベストセラーになるくらい売れています。
先日紹介した『ダ・ヴィンチ』7月号の記事に、このケータイ小説の特徴が記されています。同じく『シロクマ日報』がうまくまとめてくれているので、それを引用させてもらいましょう。
- 横書きで表示される
- 単に横書きなだけでなく、段落の変り目やセリフの前後に余白が取られ、読みやすくなっている
- センテンスが短く、漢字が少ない(書くのも読むのもケータイだから)
ケータイにうまく適応しているなという印象ですが、それ以上に感じたのは現在は“手軽さ”が求められているということです。
実際に『魔法のiらんど』などでケータイ小説を読んでみればわかりますが、小説より詩といった感じのものが多いようです(この辺、詳しくないので実際は違うかもしれません……)。
これは世相を反映しているのでしょうか。書店に並ぶ人気の本を見ても、“わかりやすく”、“あっさりしている”ものが多いです。また映画やテレビ番組でも、小難しいものより単純なものばかりですね。
それ自体否定するつもりはないのですが、重要なテーマを扱った文章はどうしてもわかりづらくなる部分が出てきてしまうものです。もちろん、“難しい=内容がある”、“簡単=内容がない”というわけではありません。
しかし、気になるのは作品の内容よりも、わかりやすいものばかりを求めるその人自身がどうなってしまうのかということです。結果として、読解力=理解力が弱くなってしまうのではないでしょうか。
現実の世界には、難しい問題があります。というよりも、現在は非常に難解な社会問題ばかりです。そういった中で、自分自身が何かの問題に直面したとき、わかりやすさを求めていた人々はみずから課題を解決することができるのでしょうか。妙な不安を感じています。
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